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仙台高等裁判所 昭和59年(ネ)454号 判決

主文

控訴人(附帯被控訴人)の控訴及び被控訴人(附帯控訴人)の附帯控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人(附帯被控訴人)の負担とし、附帯控訴費用は被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。

事実

控訴人(附帯被控訴人、以下「控訴人」という。)代理人は「原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人(附帯控訴人。以下「被控訴人」という。)の請求を棄却する。本件附帯控訴を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求め、附帯控訴として「原判決を次のとおり変更する。控訴人は被控訴人生井恒雄に対し金一四一〇万三六五〇円、被控訴人生井久美子に対し金一三六〇万三六五〇円及び右各金員に対する昭和五六年八月一四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、第二審とも控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求めた。

当事者双方の主張及び証拠の関係は、次に付加するほかは原判決の事実適示(ただし、原判決五枚目裏五行目及び六枚目表四行目の各「一五二〇万七三〇〇円」をいずれも「一九六四万〇五九五円」に、同五枚目裏九行目「昭和五四年」を「昭和五九年」に、次行の「三一五万六六〇〇円」を「四〇七万六八〇〇円」に、同六枚目表七行目の「七六〇万三六五〇円」を「九八二万〇二九七円」に、同六枚目裏五行目「原告恒雄」から次行の「円」までを「被控訴人恒雄は金一六三二万〇二九七円のうち金一四一〇万三六五〇円、被控訴人久美子は金一五八二万〇二九七円のうち金一三六〇万三六五〇円」にそれぞれ改める。)と同一であるから、ここにこれを引用する。

一  控訴人

1  本件審判台の安全性について

本件審判台は中川中学校に設置されて以降二〇年以上に亘り、格別の事故もなく使用されてきた。この審判台は前部が後部よりもはるかに重くなっているため、被控訴人のいう後部支柱の傾斜が少ないことによって何らその安定性を損われていない。また、右審判台が置かれていた地面は、平坦であって、後方へ倒れ易く傾斜していたものではなく、通常の使用方法による限り、右審判台が転倒することはなかったのである。

2  本件校庭の使用状況について

中川中学校は、いわゆる過疎地域にある中学校であるため厳重に塀を廻してはおらず、門扉を閉ざしてもいない。校庭に入ろうと思えば何人でも立入ることができる。しかし、周辺の住民はこれを中学校の施設と考えているのであって公共の遊び場とかレクリエーション施設と考えているわけではない。生徒や学校関係者以外で右校庭に出入りする者は少なく、右校庭が公共の遊び場ないしレクリエーション施設としての機能を果たしているという実体は存しなかった。

3  亡圭吾の行動の予測可能性について

国家賠償法二条一項にいう「営造物の設置、管理の瑕疵」とは、当該営造物か通常有すべき安全性を欠く状態をいうか、ここにいう通常有すべき安全性とは、本来の用法に従って使用した場合の安全性にとどまらず、たとえ本来の用法と異なる方法で使用された場合であっても、右使用方法が設置・管理者にとって通常予測しうるものであるときは、これに堪えうるような安全性をも兼ね備えた状態を指す(最判昭和五三年七月四日民集三二巻五号八〇九頁)。しかし、その使用方法が通常予測することのできない異常なものであって、その結果事故が発生した場合には、営造物の設置、管理に瑕疵があったということはできない(最判昭和五五年七月一七日判例タイムス四二四号六九頁)。

亡圭吾は本件審判台に上って遊んでいるうち、上座席部分の背当を構成しいる左右のパイプを両手で握り座席の後部から降りようとしたところ、右審判台が後方に倒れたため、その下敷となり、後頭部を地面に強打して死亡したというのであるが、亡圭吾(当時五歳)のような幼児が審判台の背当部分のパイプを両手で握って審判台の後部から降りるといった行動に出ることは、設置管理者にとって通常予測することのできないものであった。

4  審判台の設置・管理方法について

被控訴人は、控訴人が中学校の校庭にテニス審判台を備付ける場合には、〈1〉故意に倒さない限り転倒のおそれのない程度に安定した構造のものを設置するか、〈2〉その接地部分を地面に固定するか、〈3〉使用しないときには子供が遊具として使用する可能性がない場所又は状態に片付けておく等の措置を講ずべきであるという。しかし、これは本来の用法と異なる方法で使用される場合に対処してなされる措置である。右のような立論からすれば、普通の椅子であっても子供がこれに乗って遊ぶ場合は転倒の危険があるのであるから、安定した構造物といえないことになる。審判台は一般に地面に固定しないものと考えられており、かつ、これを片付けるものとも考えられていない。右の立論は普通一般になされていない審判台に対する考え方と取扱いを控訴人に求めるものであって国家賠償法二条一項の法意ないしこれに関する前記判例の趣旨に反するものである。

5  被控訴人恒雄の保護監督義務違背について

亡圭吾は本件審判台の後部から降りようとしただけでなく、うしろに反り返ったり、身体をゆすったりしたことが窺われる。同児が審判台に上り始めてから本件事故が発生するまで、かなりの時間が経過した筈であるが、五歳の幼児が高さ一・八メートル余りの審判台に一人で上って遊ぶことが危険であることはいうまでもないから、父親である被控訴人恒雄は速やかにその行動を阻止すべきであった。しかるに、テニスに熱中するあまり、亡圭吾の行動を全く見ていなかったものであり、同被控訴人の過失は重大である。

6  以上のとおり、本件事故は亡圭吾の通常予測できないような異常な行動と、被控訴人恒雄の保護監督を全く怠るという重大な過失に起因するものであって、控訴人の営造物の設置、管理の瑕疵に基づくものではない。控訴人には本件のような結果は全く予想できなかったし、これを予想しなかったことに過失はなかった。

二  被控訴人ら

1  控訴人の主張はすべて争う。

五歳の幼児が本件審判台に上って座席部分に至り、審判台の後部から降りようとするといった行動に出ることは、本件審判台の設置管理者にとって通常予測しえたことである。殊に本件の場合、その設置管理者は子供の心理に精通する教師である。子供が遊ぶような場所に設置されている審判台は、子供が遊具として使用することが当然に予想されるのであるし、審判台の転倒は死亡などの重大な事故に結びつくのであるから、その設置管理者としては、そのような事故を防止するため、故意に倒さない限り転倒のおそれのない程度に安定した構造のものを設置するか、地面に固定するか、使用しないときは子供が遊具として使用する可能性がない場所に移動させておくか、すべきものである。殊に、本件審判台は後部支柱の垂直度が著しく高く、普通一般の審判台に比して後方に非常に倒れ易いという構造的欠陥を有していたのであるから、転倒防止の措置を講ずべきは当然であった。

2  本件審判台の構造的欠陥について

前述のとおり、本件審判台は後部支柱の垂直度が著しく高く、他種の審判台に比して後方に倒れ易くなっており、本来の用法に従って使用した場合でも、審判台の背当て部分に体重をかけて寄りかかったり、ボールを取ろうとして背当て部分から身を乗り出したりした場合には後方へ転倒する危険が十分にあった。殊にその置かれている地面が僅かでも後方に傾斜している場合には安定性が極度に失われ、力が加わると急激に後方へ転倒するのである。本件事故当時本件審判台が置かれていた地面は小さな凸凹があって、後方に倒れ易い状態になっていた。

控訴人は本件審判台による事故は皆無であったというが、これまでに少なくとも一度は右審判台が倒れるという事故があったことは学校関係者が認めているところである。前記のような本件審判台の構造からすると、本来の用法に従って使用している際にも転倒しそうになったことが相当回数あったと考えられる。

3  被控訴人側の過失について

控訴人は、被控訴人恒雄に保護監督上の過失があったと主張する。しかし、同被控訴人に右の過失があるとするためには、本件審判台が後方に転倒することを予測できたにもかかわらず、亡圭吾が審判台に上るのを制止しなかったという場合でなければならない。恒雄は、当時、通常のテニス用審判台は体重約一九キログラムの幼児である圭吾がぶら下ったくらいでは転倒しないものであり、殊に学校の施設は生徒や子供達の安全を第一に考えて作られているものであるという安心感を持っていた。しかも右審判台はその重量が約二四キログラムで重く、その骨格は鉄パイプとL字型鋼から出来ているため一見安定感があり、恒雄自身たまたま盆休みで茂木町に一時帰省していただけで本件審判台の隠れたる危険性を知りうる立場になかったことから、本件審判台が後方に転倒することは予想だにしなかったし、まして圭吾がその下敷となって死亡するに至ることは全く考えなかった。

通常人が恒雄の立場に立たされた場合でも同様であった筈である。したがって、本件死亡事故につき、被控訴人恒雄に保護監督上の過失があったとすることはできない。

また、仮に被控訴人恒雄に何らかの過失があるとしても、前記のとおり被控訴人の過失は重大であり、その責任の大半は控訴人が負うべきものであるし、そもそも本訴請求は国家賠償法二条一項に基づく無過失損害賠償請求であるから、被害者側に過失があるとしてもこれを理由に過失相殺をなすことには疑問がある。殊に本件のように加害者側に過失がある場合には、賠償すべき額の算定にあたり被害者側の過失を斟酌することは妥当でない。

三  証拠関係(省略)

理由

一  当裁判所も被控訴人の本訴請求は原判決認容の限度で正当としてこれを認容すべく、その余は失当として棄却すべきものと判断するが、その理由は、次に付加するほかは原判決の理由に説示するところと同一であるから、ここにこれを引用する。

二  控訴人の主張について

控訴人は、本件審判台は通常の使用方法による限り転倒の危険のないものであったと主張する。しかしながら、前記引用にかかる原判決の認定するとおり本件審判台は後部の支柱がほぼ垂直(座席と後部支柱内側の接点から底面に垂線を下ろすと、底面後端線から一・七センチメートル台の内側に右垂線が達する。)の形状をしており、東北大学農学部テニスコート備付の審判台(甲審判台)との比較でみても、後方への転倒に要する力は甲審判台が七・五キログラムであるのに対し、本件審判台は四・五キログラムで、座席後部から亡圭吾の死亡当時の体重に相当する約一九キログラムの砂袋を吊り下げたときに後方への転倒に要する力は甲審判台が一一キログラム、本件審判台が四キログラムであって、本件審判台は他種の審判台に比し後方に倒れ易い構造になっており、地面に固定する措置もとられていなかったのであるから、通常の使用方法による場合であっても後方に転倒する危険は他種のものより大きかったといわなければならない。

また、控訴人は、本件中学校の校庭は、生徒や学校関係者以外の出入りは少なく、公共の遊び場ないしレクリエーション施設としての機能を果たしているという実体はなかったと主張する。しかし、原判決挙示の証拠によれば、本件中学校校庭と外部とは一部が柵などによって仕切られているのみで一般人の出入りを妨げる門扉などは設けられておらず(このことは控訴人の自認するところである。)また、同校には昭和五五年三月まで小学校が併設されていた関係上、昭和五六年ころまでは校庭内に滑り台、ブランコ、遊動円木、雲梯などが設置されていたことから、同校校庭は近所の子供らや家族連れなどの遊び場として利用されていたもので、その状態は本件事故当時も続いていたことが認められる。

控訴人は、本件事故当時の亡圭吾の本件審判台における行動は通常の予測を超える異常なものであったから、本件事故は右審判台の設置、管理の瑕疵によるということはできないと主張する。しかし、前記の本件審判台の構造及び安定性、本件校庭の利用状況に鑑みると、学齢児前後の幼児が保護者に伴われることなく、又は保護者同伴で本件校庭内に至り、保護者の気づかないうちに本件審判台に上り、本件事故時のような方法で本件審判台の後部審判席の背当て部分の鉄パイプをあたかもジャングルジムのように用いるなどの行動に出、その結果、安定性に乏しい本件審判台が後部に倒れるおそれがあり、倒れた場合、その素材や重量のため死傷事故を惹起する可能性のあることは、その審判台の設置管理者には通常予測しうるところであったというべきである。したがって、設置管理者としては、右審判台が後方に転倒することがないように、これを地面等に固定させるか、不使用時は片付けておくか、より安定性のある審判台と交換するなどして、事故の発生を未然に防止すべきであったというべきである。

更に控訴人は、本件事故は被害者側の一方的過失に基づくものであると主張するが既にみたように、本件審判台の設置及び管理の瑕疵に起因することは否定できないから、被害者側の過失の有無にかかわらず控訴人は営造物設置管理者としての責任を免れない。

小中学校の校庭が公共の遊び場やレクリエーション施設でないことは控訴人の主張するとおりであるが周辺住民の感覚において、特に「過疎地」では、一般人の私宅に対すると異なり、公園に近いものとして受け取られていること(都会地においても休日等に校庭開放をしている学校の多いことは公知の事実である。)が経験則上認められるのであるから、営造物設置管理者は、このことに思いを致し、危険防止の措置(特にプール等については格別の配慮が必要である。)を講ずべきことは当然である。

三  被控訴人らの主張について

被控訴人らは、本件事故当時被控訴人恒雄においては事故の発生を予想できなかったと主張する。しかし、原判決が認定するように、亡圭吾は当時身長一メートル七・八センチメートルの五歳一〇か月の男児であり、本件審判台は手頃の高さなのであるから、これに上ってみようとすることは当然予想される筈であり、しかも本件審判台の後部の支柱はほぼ垂直で、一見してその安定性に疑いが生じる構造のものであったのであるから、被控訴人恒雄としては、本件審判台が固定されているものであるかどうかを確認し、もしくは身体で押してみて安定性を確かめ、転倒の危険性を察知した場合は亡圭吾に本件審判台に上らぬよう注意を与えるべき注意義務があったものというべきであるところ、そのような確認をしなかったばかりかテニスに熱中するあまり亡圭吾の行動に注意を払わなかったのであり、同被控訴人にも過失があるといわざるをえない。そしてその過失の程度は、本件審判台が昭和三六年三月本件校庭に設置されて以降、しばしばテニスの審判台として使用され、未使用時にも同校庭に置かれたままになっていたか、本件事故以前に同審判台の転倒による死傷事故が起きたことはなかったのであるから、本来の用法に従う限り危険はなかったと考えられるところ、亡圭吾は、本来の用法と異なる方法で使用し、被控訴人恒雄はテニスに熱中するあまりこれを看過し、その結果本件事故に至ったものであって、双方に過失が存し、その過失割合は控訴人三割、被控訴人側は七割と認めるのが相当である。

また、被控訴人らは、本件は国家賠償法二条一項に基づく無過失責任を問うものであるから、これにつき過失相殺をなすことには疑問があり、殊に加害者側に過失がある場合には被害者側の過失は斟酌さるべきではないと主張する。しかし、加害者が無過失責任を負う場合であっても、被害者に過失があれば損害額を算定するにあたりこれを斟酌するのが公平ないし信義則の見地から相当であるのみならず、営造物の設置管理の瑕疵に基づく責任は、完全な無過失責任ではなく、加害者(営造物の設置管理者)に存する有責性の要件を物の瑕疵という客観的事実に置きかえたものとみることもできるのであるからこれにつき、加害者側の過失の有無にかかわらず、被害者側の過失は損害額の算定にあたりこれを斟酌すべきである。

なお被控訴人らは亡圭吾の逸失利益の算定にあたっては昭和五九年度の賃金センサスによるべきであるとするが、幼児の得べかりし収入額は、これを得る蓋然性のある額によってこれを算出するほかはないところ、本件事故が発生した昭和五六年当時の平均賃金額よりも昭和五九年当時のそれの方が亡圭吾の得べかりし収入額に近似するとはにわかに断じ難く、むしろ、被控訴人らは本件事故発生時における亡圭吾の逸失利益の現価とこれに対する事故発生日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を訴求していることに鑑みると、亡圭吾の逸失利益の算定は事故発生当時の平均賃金額に基づいてこれを行うのが相当である。

四  したがって、被控訴人らの本訴請求は、被控訴人恒雄については金四七〇万五六六七円、同久美子については金四五四万五六六七円及び右各金員に対する昭和五六年八月一四日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度でこれを認容し、その余は失当として棄却すべきところ、これと同旨の原判決は相当であり、控訴人の控訴及び被控訴人らの附帯控訴はいずれも理由がない。よって、本件控訴及び附帯控訴を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、九三条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

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